志織のいた6階の大部屋の窓は西向きで、廊下に面した入り口は、昼間明かりがついていないことが多く、いつもうす暗かった。そのせいか、明るい廊下から部屋に入って来ると、その辺りにのベッドで寝ている患者の様子はよく分からなかった。ある日彼は、入り口のベッドに松の根っこのような物が蹲っているのに気が付いた。目をこらすとそれは人であった。背中は丸まって背骨がつき出し、ゴツゴツとした松の根のように変形し、皮膚は褐色に変り、手足の関節は節くれ立って肥大し、痛みに耐えかねてか、ベットに蹲っている膠原病の患者であった。志織の末路もあのようになるのかと思うと、いたたまれなくなり、足早にその場を通り過ぎた。
入院も3年目になり、志織はすっかり病室の主になったようで、隣近所の患者達の面倒をみたりして仲良くつき合い、結構楽しそうに日々を過ごしているようであった。
併し年頃の子供二人を抱えて小売り業を営む達哉に取って、妻の入院は大変困った出来事であり、たとえ寝ていてもいいから、一日も早く退院して来て欲しいと、ひたすら願っていた。
「いつまで入院していても同じようだし、気も晴れるだろうから一度家に帰って自宅療養をしてみたら」と志織に自宅療養の話を熱心に持ちかけたが、彼女は
「私、ここに居た方がよっぽど気が楽で休まりますわ」
と吊り下げられた千羽鶴をじっと見上げながら答えた。志織と彼の母との激しい確執に、いつも困り果てている達哉にとって、それ以上強く言うことはできなかった。
帰りに主治医に病状を問いただしたが、病変は各所に汎発(広がって発生)していて楽観は出来ないと告げられた。
3年目の夏も過ぎた初秋の夕暮れ、仕事を早じまいして、いつものように来院した彼に向かって志織は
「私のことはもう考えなくてもいいから、これからは、あなたの好きなようになさって」と、あかね色に輝く夕雲に目をやりながら、はっきりとした口調でそう告げた。それは既に死を覚悟した人間の言葉のように思えて、達哉は返す言葉を失った。
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