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随筆

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 クエンサン そーだ
【第3編】
 

 掻き取り作業が終わると部屋は開け放たれ、今までの息をこらした作業から解放された女子工員らの嬌声と、不用培地の整理と搬送でガラス瓶がガチャカチャふれ合ったり割れたりする音がいり交じって、室内は喧騒を極めていた。S子は今年十七才の小柄な女の子で去年の暮れ会社に入って来た新米工員であったが、気だてがよく他人の嫌がることも進んで引き受け、機転の効く有能な娘であったため、Y主任には特に目をかけられていた。

 そのせいかS子は培地の製造と掻き取り作業の外に、採血班の仕事も任されていた。

 採血班とは屠殺場で処理される直前の牛から生血を抜き取る作業を行うグループのことで、今年学校を出たばかりの青年獣医Nの下に先輩のI子とS子を交えた新人たち4人の女の子で編成されていた。S子は菌体の掻き取り作業が終わるとすぐ明日の採血に備えて必要な装置の準備をすることになっていた。

 彼女は2リットル入り三角フラスコを右手に高く掲げて盛んに遠くからY主任に呼びかけていた。Y主任とは満州から帰還した旧陸軍の獣医で、上背があって恰幅はいいが、ただでも薄い頭の毛が更に生え上がった五十に近い人物であり、会社では先生と呼ばれていた。

 彼にとって大事な仕事は菌体の掻き取り具合を一本一本確認し、掻き取り作業を行った新入の女子工員たちに、いちいち注意を与えることであった。なぜならば菌体の回収率は製品の多寡に直接影響し、高い費用を掛けて培養した以上、採集した菌体の量が多ければ多い程利益が上がるからである。

 彼の回りには注意を受けるために女子工員たちが取り巻き、その回りでは使用済の培地の後片付けが忙しく行われていたため、S子の声は騒音にかき消されてY主任の耳には届かなかった。まだこれから採血装置をセットして高圧釜で滅菌しなければ明日の準備は終わらないのだ。早く準備をしなければと焦ったS子は更に大声を張り上げた。

 彼女が聞きたい質問の内容は、採血用フラスコに予め入れておく薬液のことだった。

 彼女はフラスコを指さしながら「Y先生!クエンサンでいいですか」とかん高い声を張り上げた。


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